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戸隠流忍法初傳型伝書

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戸隠流忍法の歴史

伝説によれば、忍法・忍術の創始者は、古い朝鮮半島の高麗時代の将軍であった異勾(いかい)である。中国の高句麗時代の元年(1049年)、彼はモンゴルの契丹夏軍と一緒に中国の宗王軍と戦ったが、敗れて日本の伊勢に逃れ、伊賀山中の洞穴に住んだという。異勾将軍は、飛鳥術や隠形之術の権威であり、特殊な気合を使い6メートルの高さまで飛び上ったという記録が残っている。

忍術は天津鞴韜系統と深く結びついているというのが私(宗家種村)の正直な感想です。これは真の事実であり、例えば、私は大友氏、物部氏、安倍氏、中臣氏の四種類の古い巻物を知っています。これらの巻物には次のようなタイトルがついています。大友家「天津鞴韜馗神之秘文の豹変之巻・虎豹之巻」物部家「天津鞴韜謐心聞據録の瀏潜之巻」安部家「天津蹈鞴麟鳳秘伝の神眼之巻」九鬼家「天津蹈鞴中臣秘文の中臣神司秘法遍之巻」。

異勾将軍は伊賀の山中に住んでいたとき、牙門道士に教え、その道士は牙龍道士に教え、牙龍道士は仁平・平治時代(1151-1160)に白雲流忍法を確立しました。牙龍道士は、骨指術の達人である八龍入道に教えた。八龍入道は、鬼門平兵衛や戸沢白雲斎(源為朝の家臣・戸沢兼氏)にも教えた。戸沢白雲斎は白雲道士に教えた。戸澤白雲斎は、幻術を中心とした「白雲流忍法」の中心人物の一人です。その中でも特に有名なのが、陰鬼・土鬼・風鬼・火鬼と呼ばれる鬼の技です。この忍術は、「神秘的な方法」と考えられていました。

応保年間(1161~1163年)に白雲道士が霞隠道士を教え、霞隠道士は戸隠大助に教えを伝えた。大助は志摩小三太源兼定に教えを伝え、後に兼定は師の名を名乗るようになり、二代目戸隠大助となりました。兼定が十六歳の時、将軍・義仲の家臣となりました。寛文元年(1161年)7月の戦いで勇猛果敢に戦っていたが、重傷を負って倒れてしまった。その後、伊賀の山中で救われ、兼定の叔父といわれる霞隠道士と初代戸隠大助から忍術を伝授されました。二代目戸隠大助(兼定)は、戸隠流忍者として有名になったといわれている。南北朝時代の戦いの後、敗れた兵士の多くが同じ伊賀山中に避難し、彼らが伊賀や甲賀に入ったことで、忍術に変革が起きたといわれています。

牙門道士はいつも次ようなの言葉を使っていました。「武人の心即ち精神は、和と云う事が最も大切なり。和を知らぬ者には武を伝えず。」戸隠流の巻物の冒頭には「人を殺すに非ず、逃げるのみ。忍術は逃げる為の術である。」と書かれており、これを得るためには、「花情竹性、神心神眼、心身一貫、忍徳を得べし」とある。戸澤白雲斎はこうも言っています。「萬変不驚」とは何があっても揺るがない(不動心)であると・・・。

第二次世界大戦後、高松は天心兵法の忍術編の再構築を始めたが中断し、後に戸隠流忍法を一般に公開した。高松はこの忍術を一部の弟子に教えた。
また、高松は特別に、福本良夫に「極秘結印九字」という秘伝を授け、木村正治には「秘剣術」の最後で最高の口伝を授けている。これらの秘伝は、一人にしか教えられない唯授一人の伝です。種村匠刀は、初見良昭、福本良夫、木村正治などから教えを受け、それらの秘伝をすべて含めて、1984年11月28日に戸隠流忍法種村派を設立した(木村からの伝は後年授傳)。

戸隠流の内容は、精神統一法・天門地門・変装術・忍者六具の法・忍術者至極の秘法・速心早足法・遁形の術・秘薬法・心身隠身法・虚実転換法・体術・手鉤術・足鉤術・銛磐(手裏剣)・九字切秘伝(呪文結印)・八法秘剣・神心神眼の法等々がある。

代系
異勾~牙門道士~牙龍道士(藤原千方)~八龍入道~戸沢白雲斎・鬼門平兵衛~白雲道士(白雲流)~霞隠道士~戸隠大助(戸隠流祖)~二代戸隠大助(志摩小三太源兼定)~21代略~戸田盛柳信綱~6代略~戸田大三郎近繁~戸田真龍軒正光~高松壽嗣翊翁~初見良昭白竜・福本良夫~種村恒久源匠刀(種村派)

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