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神傳不動流打拳体術種村派

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宗家種村匠刀監修

神傳不動流打拳体術史論

唐時代の中国に、骨法術・打拳術・少林拳・飛鳥術等の武術の達人として名高い燕京女(燕は唐の古代王国、京は燕の首都)という女性がいました。

伝説によると、中宗神龍が統治していた唐の時代、新年のめでたい日に張昌宗が数百人の兵を率いて立ち上がり、村を襲ったという。

そんな中、立ち上がった燕京女は、微笑不動心にて無手の術技を駆使して軍勢を防ぎ、村人達を見事に救出しました。

燕京女は劉燕飛(黒衣童健児)に伝授した。

劉燕飛は、打拳術だけでなく、剣術や槍術も得意としていました。

日本古来の剣術(和剣)も学んでいたようです。

永久年間(1113年~1118年)には、これらの武術が日本に伝わり、出雲冠者義照(源八幡七郎為成)に受け継がれました。

永久年間(1190~1199年)の2世代後、この武術は陸奥水原城の城主であった水原九郎義成に受け継がれた。

伝承によると、義成は源九郎義経の子で、打拳体術・馬術・槍術・剣法(居合)の達人であったと伝えられている。

彼の居合は稲妻に例えられるほど特別なものであった。

正長年間(1428年~1429年)には、神門小冠者義兼は、流派名を馗神不動流打拳体術と称した。

天正年間(1573~1592年)、江戸の阿部無我は、流派名を神傳不動流打拳体術と称した。

阿部無我は、伊賀の甲賀太郎兵衛小角や大塚大九郎忠秀から忍術を学んだ。

阿部には「天狗太郎」という異名あり。 明治年間(1868~1912年)、戸田真龍軒正光は神戸に神傳不動流の道場を開き、その普及に努めました。

戸田真龍軒は、高松壽嗣の母方の祖父にあたります。

高松壽嗣は9歳から戸田真龍軒の指導を受け、宗家伝を継承しました。

神傳不動流打拳体術は、天之型(一拳八相)、地之型(秘拳一瞬)、自然至極之型で構成されており、表型が38本、裏型が56本あります。

また、戸田真龍軒極意の八本があり、その他にも多くの口伝があります。

この流派の代系 燕京女~黒衣童児~源八幡七郎為成~源八郎為義~水原九郎義成・・・・神門小冠者義兼・・・大塚大九郎忠秀~甲賀太郎兵衛小角~阿部無我・・・戸田真龍軒正光~高松壽嗣翊翁~初見良昭~種村匠刀(種村派)

条件:玄武館会員のみ

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