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天津鞴韜秘文

天津とは「天の」や「天道=大自然の」を意味し,鞴韜とは、武門と宗門の最高秘訣(奥儀)を意味する。

天津鞴韜秘文とは、宗教・武道・人道の全てについて書かれた特別な巻物であるとされている。紀元前700年頃、弭摩王が日本の歴史として書いたものとされ,鞴韜五十鈴媛命がこれらの巻物を与えられたとされている。鞴韜五十鈴媛命はその後、初代天皇である神武天皇と婚姻し、この巻物は大伴家、中臣家、物部家,安部家等に伝えられた。

紀元前700年(または紀元前500年、紀元前600年)頃、弭摩王は古代バビロニア・カルディア王国から三名の従者を連れて日本に漂着し、三輪山(奈良県)に住したとされる。時の日本の首長である天照大御神と親交を深め、日本の統治のために尽力し,そのため、国津臣連(大臣)となったという。

弭摩王は、72個の勾玉で作られた特別な首飾りを持参した。その首飾りは、首長の象徴であるだけでなく、占いにも使われる重要な意味を持っていた。弭摩王はそれを天照に献上したとされている。

日槍之命は、弭摩王に従って日本にやってきた偉大な呪術者で、詞韻より出た十種の神宝(10種類の神々の宝物)を持ってきたという。詞韻とは、霊術(真理の意識)を意味しています。

紀元前500年或いは550年頃、数百人のマレー系の仏教徒ベーダ族が日本を襲い、三輪山の皇軍と戦った。皇軍は彼らと戦い、敗北した。この戦いから、日本の天皇軍は武器を設計し、その使い方を編み出し、さらに勝つための方法(軍略)を編み出した。その時から西暦10年頃までに、特別な技術や哲学、天門、地門などが記された「天津鞴韜秘文の一巻」が書かれたという。

天津鞴韜武門宗門の歴史と組織についてはこちらをご覧ください。

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